大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

熊本地方裁判所 昭和32年(タ)14号 判決 1961年8月02日

原告 野口スヱ子

被告 野口亀雄

主文

一、原告と被告とを離婚する。

二、原告と被告との間の二女カズ子(昭和十六年九月三日生)及び長男輝雄(昭和十八年十一月十三日生)の親権者をいずれも原告と定める。

三、被告は原告に対し、金二十万円を支払い、且つ別紙第三目録記載の(2) の物件を引渡せ。

四、被告は熊本県知事に対し、財産分与により別紙第二目録記載の物件の所有権を原告に移転するにつき、農地法第三条に基く許可申請手続をせよ。

五、第四項の許可が得られなかつたときは、被告は原告に対し金五十二万四千八十一円を支払え。

六、原告のその余の慰藉料請求を棄却する。

七、訴訟費用はこれを十分し、その九を被告の、その余を原告の各負担とする。

八、この判決は第三項中金員の支払を命ずる部分に限り、原告において金五万円の担保を供すれば仮に執行することができる。

事実

原告訴代理人は主文第一、第二項と同旨の判決及び「被告は原告に対し金三十万円を支払い且つ別紙第三目録記載の(2) の物件を引渡せ、被告は原告に対し熊本県知事の許可を条件として別紙第二目録記載の物件を引渡せ、右許可が得られなかつたときは被告は原告に対し金百二十一万七千円を支払え、訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに右金三十万円の支払を命ずる部分につき仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

原告と被告とは昭和十三年五月三日事実上の婚姻をして以来被告方で同棲し昭和十五年二月十六日婚姻届を了えて法律上の夫婦となり、両名の間に同月十七日長女タカ子、昭和十六年九月三日二女カズ子、昭和十八年十一月十三日長男輝雄の各出生をみたものであるが、被告は昭和二十四年五月頃から訴外村本ときえと情交関係を持ち昭和二十六年九月頃には同女を自宅にひきとつて同居させ、その後はことごとに同女をかばい原告には辛く当たるのみならず、屡々原告を殴打し時にはそのために傷害を蒙らせたこともあつたが、原告はひたすら被告の反省を待ちよくこれに耐えて被告に仕えつづけて来たのである。

しかし昭和三十二年三月十五日頃から被告はときえの要求に基いて、同女との間に出生した子を原告と被告との養子にする旨強要したが、原告としてはもとより容れるべき筋合のものでないとして拒絶したところ、家長の言葉に従わぬ者は出て行けと暴言を吐き暴力まで振う状態であつたため、それまで三人の子のためすべてを忍んで来た原告もついに意を決して被告方を去るに至つた。

以上の事実は民法第七百七十条第一項第一、第二及び第五号各所定の離婚原因に該当するから、これらを理由として被告との離婚を求めると共に、前記三子は原告が右のとおり被告方を去るとそのあとを追つて原告の許に来被告方に帰る気持はさらになく被告の右のような品行からしても三子中未成年の二女カズ子長男輝雄の親権者は原告とするのが相当であるからその旨の指定を求める。

また原告は被告の、夫としてあるまじき前記諸行為によつて離婚しなければならぬ立場に追いつめられその結果甚しい精神上の苦痛を蒙つたものであるから、その慰藉のため被告に対し金三十万円の支払を求め、且つ原告が被告と事実上の婚姻をし次いで婚姻届を了して法律上の夫婦となつた頃被告方は僅かに藁葺十二、三坪の住居と小屋及び六畝ほどの宅地を有していただけで自作地はなく約三町歩を小作していたにすぎず、一方被告の実兄重喜は兵役に服し実父は働く能力がなく姉あさ子は狂人妹キミ子は在学中という状態で主な働き手は原告と被告のみであり時にその実母が加勢する程度で、その後約二十年の長期にわたり原告は被告をたすけて営々として家業の農事に励んだ結果、当初の財産を維持するほか、被告はその間に別紙第一及び第二目録記載の物件を右各目録記載の如く売買や自作農創設特別措置法に基く売渡により次々と所有するに至り、昭和二十四年中には別紙第三目録記載の物件を建築所有し、そのほか昭和二十一年頃復員した右重喜に畑四反七畝、リヤカー一台及び羊一頭を贈与し十坪の住居も建ててやつた実情である。これらは結局原告が被告と共に働いて得た財産であり、今後前記三子の面倒を見てゆくのも原告をおいて他になく、原告は将来右三子と共に農業を営んでゆく予定をたてており馬匹農機具等も当分は親戚から借用しやがてはその援助のもとにこれらを購入整備してゆく見込もついている次第であるから、被告は財産分与として別紙第三目録記載の(2) の物件を原告に引渡し、且つ別紙第二目録記載の物件はいずれも農地であるから熊本県知事の農地法第三条による許可を条件としてこれを原告に引渡すべきであり、若し右許可が得られないときはその時価相当額金百二十一万七千円を原告に支払うべきである。

と陳述し、

立証として、甲第一号証を提出し、証人古谷ユキメ、古谷強、佐藤亥熊、大津治男、タカ子こと野口たか子、野口重喜の各証言及び原告本人(第一回)尋問の結果並びに鑑定人森田元紀の鑑定の結果を援用し、乙各号証の成立は認めると述べた。

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として、

原告主張の請求原因事実中、その主張の如く原告と被告とが事実上の婚姻をして被告方に同棲し次いで婚姻届を了して法律上の夫婦となり、原告主張の三子が各出生したこと、被告がときえとの間に情交関係を持ちのち同女を被告方に同居させたこと、右両名間に出生した子を原告と被告との養子とすることにつき原告に同意を求めようとしたことはいずれも認めるが、その余の点はすべて争う。

昭和二十一年頃被告の妹キミ子は原告の実弟である訴外南部不二夫と婚姻したがわずか二年位で不二夫に女関係が生じたため被告方に戻つて来たところ、原告は同女に対して冷淡でその結果被告の両親との折合も悪化するに至つたので、原告と被告とはその子等とともに被告の両親と別居し且つ原告と被告との間にも事実上離婚すべき旨の話合が成立したのであるけれども、原告が敢えて被告方を出ようとしないうちに被告とときえとの間に情交関係を生ずるに至つたのであつて、このような経緯から原告自身ときえを同居させることを希望し同女のもとに赴いてこれを勧め後ときえが被告とも別かれて被告方を去ろうとしても極力これを慰留したほどで、結局原告は被告の右不貞行為を宥恕したものというべきである。

原告が被告に嫁して来たあと被告方では右両者のほか被告の両親、姉あさ子、妹キミ子等もまた農事に従つてその協力のもとに被告の財産が増加したのであるのみならず、別紙第一目録記載の(1) (2) (5) の物件は元来被告の父訴外武八が訴外外山政次より昭和二年以降小作し、同(7) の物件は武八が訴外武田信人より大正十三年以降小作し、いずれも農地解放まで武八において耕作していたものでただ将来を考慮し買受名義人を被告としただけであり、右第一目録記載の(3) (4) の物件及び別紙第二目録記載の(1) の物件はもと訴外佐藤常彦の所有であつて訴外松本武男が小作していたのを昭和八年四月一日武八が松本から右権利を譲受け耕作して来たもので被告の所有ではない。しかも原告は被告方を出るとき無断で三人の子を連れ出し、その後も被告方より衣類、食品等を持ち出しているのであるから、このような原告に対しいまさら財産分与をなす必要はない。

と述べ、

立証として、乙第一、第二号証を提出し、証人アサコこと島田あさ子、緒方忠、トヨこと梅田とよ、田上久子、トキエこと村本ときえの各証言及び被告本人(第一回)尋問の結果を援用し甲第一号証の成立を認めると述べた。

当裁判所は職権を以て原告及び被告各本人各(第二回)を尋問した。

理由

公文書であつて当裁判所の成立を認める甲第一号証に原告及び被告各本人(各二回)尋問の結果をあわせ考えると、原告と被告とが昭和十三年五月三日事実上の婚姻をし、昭和十五年二月十六日正式に婚姻届を了えて法律上の夫婦となつたこと、右両者間に同月十七日長女タカ子、昭和十六年九月三日二女カズ子、昭和十八年十一月十三日長男輝雄が各出生したことが認められる。

証人佐藤亥熊、大津治男、古谷ユキメ、古谷強、野口たか子、緒方忠、梅田とよ、田上久子、村本ときえの各証言、原告(後記措信しない部分を除く)及び被告(後記措信しない部分を除く)各本人(各第一回)尋問の結果並びに口頭弁論の全趣旨をあわせ考えると、原告は前記事実上の婚姻をして以来被告方において被告及びその両親、姉訴外あさ子、妹訴外キミ子、姪訴外久子等とともに一応円満な家庭生活を続けていたが、昭和二十二、三年頃原告の弟訴外南部不二夫に嫁いだ右キミ子が間もなく不縁となつて被告方に戻つてのち原告も被告も右問題の解決に関心を示さず、ついにキミ子が前途をはかなんで自殺するに至つて原告及び被告と被告の両親との折合が悪化し昭和二十四年二月頃原告、被告及びその子等は右両親と別かれて暮らすようになつたところ、他方被告は原告のキミ子に対する冷淡な態度が同女を自殺に追いやる一つの原因であつたとなして原告に冷たく当たるようになり各夫婦の間自体にも漸く溝ができはじめそのうえ被告は訴外村本ときえと情交関係を持つようになり、昭和二十五年には男子典行が生まれのちさらに女子の出生をみるに至つたのであるが、このようにときえにも二子が出生した結果別々に暮らしていたのでは生活費もかさむところから昭和二十七年八月頃被告は同女等をも自宅に引きとつて共に暮らそうと企て近所の人である訴外梅田とよに依頼し原告の同意を得て右同居を実現させたこと、原告としてはもとより妻妾同居の形で暮らすのについて内心承服しがたい気持をいだいていたけれどもこれに反対すれば被告に殴られたり辛く当たられたりするのでやむなく右同意をしたにすぎず、常々右同居生活の苦衷を姉である訴外古谷ユキメに訴え家には居れないと洩らしていたが同女から「男のすることなのだから仕方ないではないか」と慰撫され前記三人の子のことも考え辛うじてこれに耐えていたものの、不自然な形の被告方家庭では当然のこととして風波が絶えず、被告は屡々原告を打つたり殴つたりしあるときはネコボク棒で頭を殴打して傷害を与えあるときは鎌で殴つて右肘に傷害を与える等の暴行を働いたが、昭和三十二年三月被告はときえとの間の子典行の小学校入学期を前にして、ときえの生んだ二子を原告と被告の戸籍に入籍しようとして原告の承諾を求め、原告がこれに反対すると激怒して棒切れを投げつけ、原告において二、三日考えさせてほしい旨を答えるとさらに鍬やなたを投げつけてその踵に一寸位の切創を与え、原告に内密で右届出のため熊本市役所に赴き事情を知つていた同市役所戸籍係である原告の甥訴外古谷強に受理を拒まれるや憤慨して帰宅し、「打殺さにやならん」と土足で原告をふんだりけつたり物を投げつけるなどの暴行を加えたので、原告もついにたまりかねて前記ユキメ方に難を避け、原告と被告との間の三子もあとを追つて被告方を出、現在に至るまで原告のもとにあり、ときえの居る被告方には帰らぬとの気持をいだいており、一方被告は現在もなおときえと同棲して同女と別かれる意思のないこと等の事実が認められ、原告及び被告各本人(各第一回)尋問の結果中右認定に反する部分はいずれも爾余の各証に照して措信することができず、他に右認定を左右する立証はない。以上の事実によれば原告主張の民法第七百七十条第一項第二号該当の事由があるとはなし得ないけれども同項第一号及び第五号該当の事由が存するというべきであるから、これを理由としてなす原告の本訴離婚の請求は正当として認容すべく、また右認定の事実関係を考えあわせれば、原告と被告との間の未成年の子である二女カズ子及び長男輝雄の親権者はいずれも原告とするのが相当である。

すすんで、原告が被告の夫としてあるまじき前記行為により離婚せざるを得ない状態にたちいたり、その結果深甚な精神上の苦痛を蒙つたことは容易に推認できるので、被告において原告に対し慰藉料を支払うべき義務のあることは多言を用いるまでもないところ、原告は本訴において慰藉料と共に財産分与をもあわせて請求しており、元来財産分与は婚姻共有財産制度の思想を基礎としてその清算をなすことと、離婚により将来生計に窮乏を来たすと認められる一方当事者の離婚後の扶養の趣旨を有するほか、夫婦のいずれがいかなる離婚原因を形成したかの点をもあわせ考慮して定められるべきもので、この最後の点については慰藉料の性質をも帯有する場合があるといわなければならず、したがつて本件の如く慰藉料と共に財産分与をも訴求せられている場合には、両者をそれぞれ相斟酌して各数額を決定すべきである。ところで証人佐藤亥熊、古谷ユキメ(後記措信しない部分を除く)、野口重喜(後記措信しない部分を除く)、緒方忠(後記措信しない部分を除く)、島田あさ子、田上久子の各証言、原告(後記措信しない部分を除く)及び被告(後記措信しない部分を除く)各本人(各二回)尋問の結果、鑑定の結果並びに口頭弁論の全趣旨をあわせ考えると、被告方は農家であつて原告と被告とが前記のとおり事実上の婚姻をしたのち正式に法律上の夫婦となつた頃、被告方の資産としては住居とその敷地、馬と馬具等があつただけで自作の田畑はなく約二町八反を小作していたばかりであり、一方働き手としては原告と被告、被告の両親、被告の姉あさ子、妹キミ子等がおりその後あさ子とキミ子は他に嫁ぎ、被告の母が死亡し、被告の姪久子が学校を卒えて働き手に加わるなどの変動がみられたけれども、原告は終始被告と共に農事に励み、その間被告は昭和十五年中に別紙第一目録(5) 及び第二目録(3) の各小作地を当時の所有者から買受けたのをはじめとして、戦後自作農創設特別措置法に基き小作地や開墾地等別紙第一(右(5) を除く)及び第二(右(3) を除く)目録記載の物件を同記載のとおり売渡を受け、別に昭和二十四年中に別紙第三目録記載の家屋(現在被告居住)を建築所有するに至り、なお婚姻当時の住居及び敷地も維持せられて現在被告の父が所有使用しており、被告の兄重喜が戦後海軍から復員して来たとき被告は同人に対し畑三反歩余を贈与し家屋一棟を建てて贈つたこと、以上のうち別紙第一ないし第三目録記載の各物件の時価は右各目録中時価の欄に記載のとおりでその合計額は金二百二十万七千三百二十円に相当するものであること、原告は現在特段の固有財産を有しないが過去二十年を超える農事生活によつて農業経営に必要な十分な経験を有し将来自ら三人の子と共に農業を営んでゆきたい意向をもつていること等の事実が認められ、右認定に反する証人古谷ユキメ、野口重喜、緒方忠の各証言、原告及び被告各本人(各二回)尋問の結果部分はいずれも爾余の右各証に照して措信しない。

以上の事実に前示離婚原因に関する認定事実を考えあわせると、被告は原告に対し慰藉料として金二十万円を支払い、且つ第二目録記載の各物件(時価計金五十二万四千八十一円)と第三目録(2) 記載の家屋(時価金十万二千四百十二円)を分与するのが相当であるところ、右第二目録記載の物件はいずれも農地であつて農地法第三条により県知事の許可を得なければならないから、先ず被告に右許可申請手続をなすべき旨を命ずべきである。もつとも原告は本訴において右許可申請手続を求める趣旨の申立をしていないのであるけれども、当事者において財産分与を命ずる旨の裁判を求めるとの趣旨の申立をなしている以上裁判所は何等当事者の申立の範囲に拘束せられることなく分与させるべきかどうか並びに分与の額及び方法を定める建前とせられるものであるから、裁判所が農地を分与させるのが相当であるとするときは、農地法との関係において分与を受けるべき者に有効にその所有権を取得せしめるために必要な裁判をなし得るものといわねばならない。次に県知事の許可のあることを条件として農地の引渡を命ずる裁判はいわゆる将来の給付を命ずる性質のものであるところ、果して将来右許可が得られるか否かは全く未知の事実に属しいまただちにその給付を命ずる必要があるものとも考えられないから原告の右給付を求める部分は認容することができない。しかしながら県知事が右許可をしない場合は被告は原告に対し前記農地の分与にかえてその前記時価相当額計金五十二万四千八十一円を支払うべきである。よつて慰藉料については右金二十万円の限度において原告の請求を正当として認容し、その余を失当として棄却し、財産分与に関し右各趣旨の裁判をなすこととし、これを超える申立部分については前に説示したところと同じ理由によつて請求棄却の判決をなさず、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条本文第八十九条を、前記慰藉料金二十万円の支払を命ずる部分の仮執行宣言につき同法第百九十六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 西辻孝吉 嘉根博正 土井仁臣)

第一、第二、第三目録<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例